「HIPHOPDREAM」
日本では馴染みの薄い言葉ですが皆さんはご存知ですか?
海外のラッパーは有名になると何百億円という有り得ない金額を稼いじゃいます。
豪華な邸宅、何台もの高級車、自家用ジェット、首には何千万円のブリンブリン…これこそがHIPHOPDREAM!まるで夢のような話しですよね。
ここ日本でラップで有名になっても何百億円というのは先ず有り得ない話しです。
しかーし、大富豪のラッパーであるJAY-Zやドクター・ドレーなんかはラッパーと実業家という二つの顔を持っていますよね。
勿論ラップでメイクマネーをしていますが、ビジネスでもクソほど稼いでます。
つまりHIPHOPDREAMはラップだけじゃ無いと言う事。
「ラップで稼ぐ」だけがHIPHOPDREAMではなく、「ラッパーが稼ぐ」という事自体がHIPHOPDREAMなのです。

日本のヒップホップ界最強のアンダーグラウンドラッパー漢a.k.a.GAMIさんも株式会社鎖グループ及びヒップホップレーベル「9SARI GROUP」代表、つまり社長…漢さんはラッパーをしながらビジネスをしていわけです。
このようにマイクで稼ぐ、ビジネスで稼ぐ、何でもいいから自ら稼ぐ!
要はラッパーがメイクマネー!
これこそが「HIPHOP DREAM」なのです。
ラッパーへの目覚めと将来的な不安
今から14年前、23歳の頃にバキバキのバンドマンだった僕がHIPHOPに目覚めたのは皆様ご存知「フリースタイルバトル」でした。
当時の環ROYさんや漢さん、フォークさんや玉露さんのバトルをYouTubeで見た僕は長年やったバンドをあっさりと捨て即ラッパーに転職しちゃいました。
それからというもの家でも車でも職場でも狂ったようにラップラップラップ!
そしてスキルを磨き憧れのUMBにも参戦!(気合とは裏腹に予選で負けましたけどね)
その後もライブらやイベントでMCを務めたり、リリックを書いてレコーディングしたりとラッパーとして日々HIPHOPを精一杯楽しんでました。

そんな僕でしたが歳を重ねる毎に徐々に忙しくなりHIPHOPは聴くものの、ラップをする機会はどんどんと減っていきました。
そしてこの時34歳の僕はある事に気付いちゃったのです…。
それは僕程度のラッパーがラップで有名になる事は絶対に有り得ないと言う事でした…。
悲しい事だけれどこれは現実です。
ラッパーとして限界を感じました…。
だって漢a.k.aGAMIさんのようになれますか?
まー余程の気合と根性が無ければ無理でしょう(凄い世界ですからね…)
そして僕は大きな壁にぶち当たったのです。
それは「自分は何者で自分はどこに行くのか」という事でした…。
HIPHOPから目覚めたビジネスの道
当時の僕はニッカポッカとヘルメット姿で毎日汗と埃にまみれて仕事をしていました。
一応専務という役職だったから現場では親方、責任もあり毎日ボロ雑巾になるまで働いていたのです。
月曜から土曜までアリの様にせっせと働く毎日。
「こんな事を一生やってくのか…?」
僕がぶつかったリアルな壁はこれでした。
このままジジイになって死ぬ…え?マジか?いや、あり得る!非常〜にあり得る!
嫌でした。とてつもなく嫌でした。
ラッパーにもなれず、一生労働で虐げられる毎日。
世界には数百億円を稼ぐラッパーがいる…。
日本にもHIPHOPで生きている人達がいる…。
毎日悩みました。
悩んで、悩んで、悩み抜いた挙句、僕は人生を変える大きな決断をしたのです。
「ビジネスをしよう…そうだ!ビジネスでメイクマネーをしよう!マイクが無くたってHIPHOP魂(?)があればメイクマネーができるじゃないか!JAY−Zやドクタードレーみたいにビジネスをしよう!」

今思えば恐ろしいほどの単純思考でしたが、これをきっかけに僕の人生は大きく変化したのです。
始めての輸入と指スケビジネス
僕の初めてのビジネスはなんと「輸入業」でした。
勿論自信を持て輸入なんてやった事ありません!ノリでいきます!
僕が輸入したものは踏合組合や一二三屋でお馴染みヒダディーさんもやっている「指スケ」。
僕は中国から指スケを輸入してインターネットでの販売をする事にしたのです!
理由は超単純!日本で手頃な価格の指スケが何処にも売っていなかったから輸入すれば売れるっしょ!それだけ!超ノリ!
…しかーし!
これがなんと超的中!
めっちゃ売れる!くっそ売れる!もう飛ぶように毎日売れる!
日本に指スケの需要はあったけれど商品がなかった事が成功の鍵でした。
まー毎日売れまくりましたが指スケの輸入販売だけでは生活できる訳も無く、日中は現場で働き夜は「梱包」「検品」「出荷」「メール対応」の毎日でした。
それでも初めてのビジネスでトータル100万円程売り上げちゃったのです!(超まぐれ!)
僕はこの勢いにガンガン乗り、稼いだ資金を元本に今度は指スケと飲み屋の合体した「フィンガーボードBAR」をオープンさせることにしたのです。
店舗経営と指スケBAR「BDF」
お店を出す事に勝算がありました!それは僕にはスケーターの知人が山程いたからです!スケーターなら指スケも好きっしょ!(超安易!)
と、まあノリだけでお店を作ってしまったのです。

お店の名前は「BDF bd.fingerboard」
(もしかすると聞いた事がある人も居るかもしれませんね、日本の指スケ界で多少話題になりましたから…。)
これが僕の第二のビジネス「店舗経営」でした。
HIPHOPがガンガン流れる指スケBAR「BDF」は毎晩遅くまでサイファーや指スケで盛り上がりました。
この時僕はまだ職人をしていた為、現場とお店と指スケ販売をしていたので忙しさは半端じなかったです。
思い出すだけでゲロが出そうです…。
指スケを販売し始めて一年程経った時、僕と同じように中国から指スケを輸入しインターネットで販売し始める者が徐々に増えてきました。
同じプラットホームに同じ商品が出ているのでは売り上げはどんどんと下がっていくばかりです…
これでは商売上がったりですわ。
しかしメイクマネーを心に誓った僕はこれくらいで怖じけず来ません。
そこで僕は新たな作戦に出たのです!
「誰にも真似出来ないようにブランド化してBDFオリジナルの指スケを作っちゃおう!」
これが僕の第三のビジネス「生産業」のスタートでした。
自社指スケ生産でオーバーワーク
僕は現場仕事の休憩中に独学で素材や生産方法を勉強し、毎日指スケを作ってくれる会社を探しました。
トータル数百件の会社に電話をしました…。
そして指スケを作ってくれる業者さんを達を徐々に見つけていったのです。
結果日本で全てのパーツを生産する事が困難だった為、インドネシアの会社と中国の会社にも依頼しました。
勿論全て独学です。(大体google翻訳でいけます!あとノリ!)
デザインから図面、企画書、打ち合わせを全て一人でこなし、日中は現場で働き夜はお店で働き輸入指スケの販売もしたのです。
まー、わかるとは思いますが…完全にオーバーワークです…。
結果的にぶっ倒れてしまい胃潰瘍と過度な睡眠不足からうつ病になってしまいました。
しかし…そこはメイクマネーを誓ったHIPHOPの精神(?)で見事に復活した僕でしたが、これ以上の無茶はマジで命に関わると判断。
もっと大きな利益が出れば現場仕事を辞めれるのに…。
そう考えていた時…ふと閃いたのです!
そうだ!もっと大きな市場で売ればもっと利益が出るじゃん!
僕は「日本製」を売りにした自社の指スケを海外で販売しする事で大きな利益を生めると言う事に気が付いたのです。
これが僕の第四のビジネス「輸出業」です。
脱サラと指スケ輸出で見事に大失敗!
僕はこの輸出ビジネスにある程度自信がありました。
BDFというブランドはSNSを通して海外でも多少知られていたし、日本より海外の方が指スケ人口が圧倒的に多く流行していたからです。
「おっっしゃ!これならいけーる!」
僕は絶対の自信があったので遂に自分のビジネスを「本業」にする事にしたのです。
つまりは脱サラです!
長年働いた会社を退職、小さいながら事務所を構えました。
インドネシアや国内の業者さんから次々届く自社商品。
SNSで世界中に宣伝もしまくった!
そして遂に輸出が始まる!

という矢先に事件は起こりました…。
なんと突然日本の業者さんが手を引くと言い出したのです。
え!おい!ちょ!まてまて!
半年以上図面や企画書で綿密に練ってきた商品です。
企業さんの言い分はこうでした。
「ウチの会社は何千万円という金額で取引をしている、たった百何十万で半年も付き合ってたんじゃ儲けにならない」
デーム…しかし確かにその通りです。
僕はそこをなんとか!と何度も何度もお願いしました…が結果は契約破棄…。
FU◯Kだ。F◯CK過ぎる。
状況は最悪です…
契約が破棄となった製品は実は自社商品の一番の「ウリ」だったのです。
しかしこれからまた企業探しから始めてたら商品が完成するまで半年以上かかる…。
僕は仕方なくあるだけの自社商品を海外へ輸出しました…
が、しかし…
やはり日本で生産出来なかった製品がかなりの痛手となりました。
なんせ一番のウリが無いんですもの(涙)
ポツポツとは売れるもののこれでは全くもって生活は出来ません。
数百万円を投資した生産輸出ビジネスは完全に失敗に終わっちゃいました。
…で。
超ピンチ!鬼ピンチ!
だってもう仕事辞めちゃってるし!
事務所とか用意しちゃってるし!
ヤバイ!ヤバすぎるぞ!
何かビジネスをしないと…。
考えて考えて考えた結果…
今度は輸入と輸出の経験を生かし以前から興味があったインターネットビジネスに取り組む事にしたのです。
これが僕の第五のビジネス「インターネットビジネス」です。
初めてのインターネットビジネス
三年近く頑張った指スケビジネス…
しかしこれ以上依存して傷を深めることを恐れた僕は指スケビジネスを一旦捨て新しいビジネスをする事にしたのです(悲し過ぎます)
インターネットビジネスには色々な種類があったけれど今までの経験を生かし「物販」に特化しました。
それから毎日ノウハウの勉強と実践を繰り返しました。
色々な物販ビジネスにチャレンジしましたが成果はイマイチ…。
資金は底を尽きかけていました。
このままでは死ぬ…。
ジジイになるどころか先に死んでしまう!
もう時間がない…一刻の猶予もない…
僕は絶望的な顔をして本屋をウロついていました。
ん?
ビジネス書の一冊の本に目が止まりました…
「マーケティング」
…マーケティング?
僕はその本を手に取りパラパラと読みはじめました…。
その瞬間目から鱗がジャラジャラと溢れ出したのです!
勿論比喩です!
僕は直ぐにその本を買い速攻で事務所に帰りました。
なんと僕はビジネスをする上で、自分の直感やアイデアだけで、ビジネスについて何も学んでいなかったのです。ヤバイ奴です!正直言ってアホすぎです!

その後僕はほとんど寝ずに食わずに勉強と作業に取り掛かりました。
何日も何ヶ月も…
体重は10キロ程減り、小腸と胆嚢が炎症を起こし、胃に穴が空き、気を失う程の腹痛と嘔吐を繰り返しながら作業に取り掛かりました。
ラッパー達のように絶対にメイクマネーをするんだ…
その一心でした。
残金数万円という限界ギリギリの状態から一年後…
現在37歳、首までタトゥーのラッパーの僕は従業員に「社長」と呼ばれている。
外注作業員を雇い、インターネット物販では一つのプラットホームで不労所得月50万円程を稼ぎその他複数のプラットホームにて運営。
8名のコンサル生にインターネットビジネスを教えていて、ブログ、集客、アフィリエイトとドンドンと色々なビジネスモデルを組み上げている。
そして週4でBARを経営してお客さんと酒を飲みながら指スケとサイファー。
HIPHOPを聴きながら仕事をする毎日。
デスクが飽きたらカフェで仕事。嫌気が刺したら昼からビール。
出勤時間も勤務時間も自由…。
「HIPHOP DREAM」

JAY−Zやドクター・ドレーの足下にも及ばないが僕はメイクマネーを死ぬ気で成功させた。
小さいながらも「HIPHOP DREAM」を実現させる事ができたのです。
僕の現在の目標は年収1億円。
まだまだ夢は遠いけれどこれが今の僕の夢…
たとえマイクを握らなかったとしてもラッパーである僕の夢。
僕の中の「HIPHOP DREAM」なのです。
勿論ラップでメイクマネーをする人もいます。
しかし、僕の様にラッパーがマイク以外でメイクマネーをする事だって十分に可能だと言うことです。
ドレイクの様にボーイングは買えなくても小さなHIPHOP DREAMは僕たちラッパーに自由と時間を与えてくれます。
その自由と時間で思う存分YoYo出来るのです。
最高でしょ?
これが僕のマイクを握らないHIPHOP DREAMのお話です。
こんな能天気&ノリだけで生きてきた人間でもビジネスで起業して生きていく事ができます。
つまり誰にでも可能という事です。
このブログはHIPHOPの話やインターネットビジネスの稼ぎ方などの記事もありますので良かったら是非チェケしてみて下さい。
自由はいいですよ〜。
最高ですよ〜。
それでは最後まで読んで頂きありがとうございました。
ラッパーの皆様…Yo check it out!
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